3/24_26 利休忌

床 菜の花

 

寄付 新幹線はやぶさ

 

 

利休忌より前は、茶席に菜の花は用いないことになっています。

庭でのびやかに咲いていた菜の花を、

旧暦の2月28日を向かえたこの週、ようやく入れました。

 

 

何故菜の花なのか。

 

利休が生前愛していた、

利休切腹の床の間に用いた、

いやいや茶会で菜の花を使った記録はないからちょうど利休忌の頃に咲き始める菜の花をお供えしたのが始まりだろう・・・

そうではなく、切腹前、堺に蟄居の折、

細川三斎と古田織部が見送っていた川縁に菜の花が咲いていたのだ・・・

 

等々色々な説があります。

 

利休の活躍した安土桃山時代は、日本で菜種油の搾油が始まり、急速に広まった時代でもあります。

つまり、この頃の菜の花といえば、鑑賞の花というよりは、実用の、〝油菜”としての認識が強かったはずです。

 

利休は、名物として伝えられるものよりも竹を切っただけの花入を好み、

魚籠や水筒といった本来茶の湯で用いない道具を、茶の湯に取り込む「見立て」を行ってきました。

 

「日常生活で目に留まらないようなありふれた存在の中に美を見出し、その美しさを最大限に引き出す」

ことが利休の美意識の根幹にあるように思います。

 

薄暗い床に菜の花を入れると、花自体が仄かに発光しているようにも、

春の温かさを滲ませているようにも見えます。

 

搾油の対象として広まった菜の花の美しさは、

利休の茶の湯世界を体現した存在なのかもしれません。

 

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3/17_19 寒緋桜

床 清風匝地

花 寒緋桜

 

 

 

今週のお稽古の花は

広間、小間、寄付にも寒緋桜を使い

桜尽くしとなりました。

 

小間は、横に長く伸びた枝を正客の頭上に来るように入れましたので

花見の気分だと喜んで頂きました。

 

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3/10_12 玄玄

床 玄玄

花 蘇芳 八手花笠

花入 松葉篭

 

 

床の字に因み、座学では玄々斎を取り上げました。

玄々斎は立礼式を考案する等、茶道の近代化に貢献されました。

 

 

玄とは、奥深いもの、絶対的な真理のこと。

また、玄武で知られる通り、色としての玄は黒を示しています。

これは奥深くて判別の難しい色、天の色だと言います。

 

今回の作品を担当された渋谷さんの解説によると、

「玄中玄」とは、形や言葉にとらわれない真実の姿をみてとっていこうとすること

だそうです。

難解なようにも聞こえるかもしれませんが、

形やと言葉にとらわれない真実の姿とは宇宙の姿そのものです。

 

宇宙の姿をみようと

古今東西、様々な角度からアプローチがなされてきました。

 

渋谷さんは、今回の解説文の最後に

乙亥会の茶の湯の世界に魅かれている私です

と書いて下さいました。

 

宇宙という名の和を追い求めているのが乙亥会の茶道です。

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3/3_5 春の川

床 春の川深き処の曲がりたる

花 菜の花 猫柳 桃

花入 茶筅筒

 

 

木曜日は桃の節句でした。

茶筅筒を立雛に見立て、娘がそれぞれのイメージで入れていました。

 

座学では柿の蔕茶盌を学びました。

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2/29 第6回 親子でお抹茶を楽しむ会-桃の節句茶会-

床 琴瑟和 前大徳大道老師賛

花 桃

花入 白酒器

脇床 交趾桃香盒葉紫 三室戸焼

風炉先 遠山

鉄瓶 擂座

瓶掛 獅子鳳凰文

茶箱 黒箔蒔絵一式 菱田賢治造

  歌銘 濁りなき心の水にすむ月は波もくだけて光とぞなる

                         道元禅師

茶盌 懐恋 児玉みなみ造

替 雛祭

数茶盌 春の野 菜の花 蝶

振出 銘 シリウス 義山 中村真紀造

茶 小倉山 小山園

菓子 引千切 澤村美保作

   ひなあられ

 

 

 

第6回目となる、umiのいえでの親子茶会。

今回は、桃の節句茶会として開かせて頂きました。

大変有難いことに、多くのお客様がご参加下さいました。

 

雛祭りの茶会ということで

茶箱の点前で一服差し上げました。

茶箱とは、茶道具の入った箱で、

一つの箱の中からお菓子やお茶盌、茶筅など、殆ど全ての道具が出てきます。

その為、全体的に道具が小ぶりな作りになっています。

箱から、小さな道具を出して並べていくところが、

雛遊びに似ていると思い、この趣向にしました。

 

 

床は、「琴瑟和(きんしつわす)」

琴も瑟も、弦楽器です。

琴は日本でも良く知られていますが、瑟は日本で見かけることはほとんどありません。

弦の数が13本の琴に対して、瑟の弦は25本。昔は50本のものもあったそうです。

その為ことに比べてずっと幅の広い、大型の楽器です。

 

この2つの楽器を共に演奏すると

見事に調和して美しい旋律を奏でることから、

この「琴瑟和」は夫婦の仲がむつまじい様子のたとえとして使われています。

 

同じく琴を使ったことわざで良く知られているものとして

「琴線に触れる」があります。

心の奥深くから感銘を受ける、心が震えるといった意味です。

 

心の奥が美しく揺れ動いた時は、琴の音がするのですね。

そう考えると、

「琴瑟和」は、ただ仲が良い、息がぴったりというだけでなく

心と心が共鳴し合っている仲、と言えます。

 

自分の娘が、将来、美しく心が共鳴し合える相手と巡り合えます様にと、

この言葉を雛祭りの日に飾っていたのですね。

 

 

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2/25_27 琴瑟和

床 琴瑟和

花 吾妻絞

 

 

29日の親子茶会に向けて、練習を重ねました。

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2/18_20 地獄茶会

床 柔軟心

花 梅

 

2月15日は山田宗愛先生の命日でした。

18日のお稽古では森さんがおはぎを作ってきて下さり、皆で有難く頂戴しました。

 

床は、先日宗名を受けられた後藤さんの「柔軟心」

正に、ご本人そのものを表している言葉でした。

 

 

20日は、お稽古の後、小美濃さんが宗景と共に増上寺へ赴き、地獄茶会に参加されました。

劇場茶会という、大変珍しいイベントで、それはそれは大変刺激的なひと時を過ごされたようです。

 

小美濃さんの感想を掲載させて頂きます。

 

 

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2/4_6 知足

床 知足

花入 吾唯知足

 

「知足」

 

足ることを知るものは、たとえ貧困であっても心が満たされて

安らかである。

しかし足ることを知らないものはどんな裕福であっても心が満たされず、常に不安である。

 

 

清貧や、分相応といった意味で使われることも多いかと思います。

モノの溢れる現代社会においては特にこの言葉の重みが感じられます。

 

ただ、今回はこの言葉の違う側面を見ました。

 

 

「吾唯知足」の鉄器を花入とした時、どんな花が合うでしょうか。

 

最初は、茶花として成立する、存在感のある花ではなく、

庭で小さく芽を出した蕗の薹を、

普通なら物足りないくらいさりげなく入れてみようと思いました。

 

しかし、いざ入れてみると、

たとえ小さな小さな蕗の薹であっても、そこに入れることは余分であると感じられました。

この器だけで、全てが足りているということなのです。

 

つまり

この場合の「吾唯知足」は

物の大小、所得の多寡、といった話ではないということが分かったのです。

 

この器は龍安寺の石庭と同様、

「口」という字を中心に「五」「隹」「止」「矢」の四字が配置され、それを円でぐるりと纏められている形ですが、

これは単なる言葉遊びでこの形になっているとは到底思えません。

□の周りを〇が囲っている。

ここに大きな意味が込められているのではないでしょうか。

 

 

私たち一人ひとりは、既に満ち足りた存在である。

無限に満ち足りている宇宙の中で、足りないという概念がまず有り得ない

ということを

この形によって示しているのだと思います。

 

以前、〇△□ムキ栗で扱ったように

〇は完全なる宇宙の姿

□はそこに飛び込んでいく為の門です。

 

私にはこの形が

「私自身が満ち足りた存在なのだ!」

と叫んだ途端に

無限の宇宙と同化する

そんな光景を図示しているように見えてなりません。

 

 

 

 

 

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1/28_30 献茶 供茶

床 天真爛漫

花 紅梅 土佐水木

花入 鶴首

 

他のお教室の方に驚かれることもあるのですが

乙亥会では、毎週、献茶と供茶を行います。

 

日本にとって、毎日神様と仏様に手を合わせることは

古来よりごく自然なことです。

 

ですから、毎回のお稽古でも当たり前のこととして

茶を献じ、供えます。

 

通い始めたばかりの方には流石に所作が複雑ですので

まだお教えしてませんが

多くの社中の方にこれを行って頂いています。

 

この週のお稽古では献茶・供茶の新しい型について、

またその意義について皆様と共有致しました。

 

 

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1/21_23 〇

床 〇

花 吾妻絞/加茂本阿弥

花入 瓢箪 肥後水俣ひょうたんの里

香盒 贔屓

 

〇(円相)は

 

森羅万象、宇宙全体の姿を最も簡略に描いた形

完全無欠

悟の境地

円満

仏の心

・・・

 

いくらでも解釈が可能であり、

それは受け取り手に委ねられています。

 

それを描くとなれば猶更

どのような心で臨んだのかによって

大きく形の見え方は変わってくるでしょう。

 

 

作品を描かれた谷さんは、輪、和を思われたそうです。

とても柔らかくて優しい円は、谷さんの人柄が滲み出ていますね。

個人的には、昨年、谷さんのところにお生まれになった初孫さんのお顔に見えました。

 

 

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1/14_16 量子論

床 四君子

小間 南天

 

初釜でお持ち頂いた年頭の詞を冊子に纏め、

社中の皆様に差し上げました。

 

座学では

量子論と茶道の心について、皆さまに提起させて頂きました。

 

茶道のお稽古に励まれている皆さまだからこその

以心伝心や波動の違いといった話、

また、心をこめることの大切さについて

実感のこもったご意見を伺うことが出来、大変参考になりました。

 

今年も皆さまと共に「心入れ」の修行をして参りたいと

考えております。

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1/7_9 初釜

床 斗南長見老人星

花 水仙 曙 加茂本阿弥

花入 水仙篭

釜 雪笹釜

棚 長板

皆具 桶川

茶入 鶴首/鳩尾

仕覆 利休梅/弥左衛門間道

茶杓 日月一対

茶盌 樂 古き心/新しき心

棗 寿老人/柳

茶盌 瑞雲二種 淡幽

同  凧/お囃子童

茶 祝の代 松倉茶舗

菓子 花びら餅 青柳

器 丸梅盆

干菓子 まゆもなか

器 干支盆

 

 

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