10/15_17 喫茶去

床 喫茶去

花 時鳥

 

茶席の禅語として最も有名なもののひとつ

「喫茶去」

ですが、その意味には二通りの説があります。

 

一般的によく知られている

「どうぞお茶でも召し上がれ」

というにこやかに迎え入れる説

 

それを真っ向から否定する形の主張が

「喫茶しに行け」

という厳しく突き放す説です。

 

正反対のことを言っているような2つの違いは「去」の字の解釈です。

前者は「喫茶=お茶をどうぞ」を強調する為の助詞であるという考えの上に成り立っており

後者は動詞(句)+去で「~しに行く、~しに行け」という意味になるという、

漢語として一般的な使い方を採用しています。

 

あくまで個人的な考えですが

まあどうぞお茶でも、という意味であれば

「且座喫茶」という別の言葉がありますし

三文字の短い禅語といえば他にも

「看脚下(足元を見よ!)」や「惺惺著(目を覚ませ!)」「莫妄想(正念を起こせ!)」といった

弟子に喝を入れる警策のような役割のものが沢山あるように

この場合も弟子の問いに対してまだ機が熟さずと見て出直しを促す

「喫茶しに行け!」という意味合いの方が説得力があるように思います。

 

どちらの意味にせよ

茶を喫するという行為は

目を覚ます、迷いを断ち切るといった精神の動きと同義であるということです。

 

煩悩を失くすために茶道を始められる方はそう多くはいらっしゃらないでしょうが

お茶を飲んだ時にふっと心が軽くなったり、実生活でのあれこれを忘れてしまうといったことは

多くの方が経験済みであろうと思います。

 

それが茶道の魅力の一つであることは言うまでもありません。