5/29_31 アナと雪の女王

床 無心

花 撫子 小判草 野蒜

香盒 花筏

 

 

このところ、映画「アナと雪の女王」が大ヒット中ですね。

今回の禅語を書かれた小寺さんも観に行かれたそうですが

映画そのものはもちろん、主題歌にも人気が高まり

映画館で大合唱をする企画さえあるとか。

4歳の姪もお気に入りの歌です。

 

この主題歌、原題の「Let it go」とは意味を変え

「ありのままで」というタイトルになっています。

 

すっかり有名になったサビは

 

ありのままの姿見せるのよ
ありのままの自分になるの
わたしは自由よ
これでいいの 少しも寒くないわ

 

これが曲中何度も繰り返し出てきます。

 

現代人がこれを大声で歌いたくなるのは

ありのままの姿を見せたいという願望

言い換えれば

現実ではありのままでいることが難しい

ということを無意識で理解している表れかもしれません。

 

 

 

次に

 

 

心を縛るもの、わだかまりなんてないのよ

何かにとらわれたりしないの

だからこだわりもないのよ

そうすれば少しも怖くないわ

 

 

これを先程の歌詞と見比べてみて下さい。

 

これは勿論、2番のサビとかではありませんが

言い方を変えただけで殆ど同じことを歌っているように見えます。

この詞は一体何でしょうか。

 

 

心を縛るもの、わだかまりなんてないのよ

何かにとらわれたりしないの

「心無罣礙(しんむけいげ)」 

だからこだわりもないの
「無罣礙故(むけいげこ)」 

そうすれば少しも怖くないわ
「無有恐怖(むうくふ)」

 

 

お分かりでしょうか。

これは般若心経の一節です。

アナと雪の女王っぽく現代語訳してみました。

 

しかしこれ程までに重なるとは

訳しながら笑ってしまいました。

 

この主題歌「ありのままで」が日本人に馴染む訳です。

同じことを、私たちは千年以上も前から何世代にも渡って唱えてきたのですから。

DNAに染みついていると言っても過言ではないかもしれません。

 

 

この

アナと雪の女王でいう

「ありのままの姿見せるのよ」

 

般若心経でいう

「心無罣礙」

 

禅的に漢字二文字で表すと

「無心」

になります。

 

・・・やっと今回の言葉まで辿り着きました。

 

禅では、座禅修行でも分かる通り

「無心である」ことがとても重要視されます。

禅語にも

「流水、無心にて落花を送る」

「花無心にして蝶を招く」

その他にも「無心」という言葉を使わずに無心を説いたものが沢山あります。

 

無心とは、心の無いことではなく

ありのままに命を輝かせること

煩悩、欲から離れ、自分らしく精一杯生きること

を意味しています。

 

これをわざわざ説くということは

無心になることが如何に難しいかということです。

 

実際座禅を組んでみると分かりますが

初心者が座っているだけですぐに無我の境地に至れるものではありません。

沢山修行を重ねた先に辿り着ける境地なのです。

 

また

よく野球のヒーローインタビュー等で

「無心で打ちました」

といった言葉を聞けることがありますが

これも同じこと。

大した練習もしないで試合に出たところで

無心にボールを打つこと等出来るはずがありません。

「無心」は血の滲むような練習、努力の賜物なのです。

 

茶道においても

お点前をする時、無心になる為には

何度もそのお点前を真剣に繰り返し、身体に染みつかせなくてはいけません。

そうして無心でされたお点前の所作には言葉にできない美しさがあります。

 

仕事でも、家事でも、

やはり同じことが言えましょう。

 

そう考えれば

「ありのままの自分」

が出せる人とは、毎日を懸命に生きている人。

 

そうありたいものですね。

 

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コメント: 2
  • #1

    鈴木 祖芳 (日曜日, 28 12月 2014 10:20)

    初めまして。歌詞の解説ありがとうございました。
    禅とお茶双方の深い見識がうかがわれます。
    ありがとうございました。

  • #2

    otoikai (月曜日, 05 1月 2015 10:51)

    鈴木 祖芳様

    初めまして。ご訪問、またコメントを頂き有難うございます。
    お褒めの言葉を励みにこれからも精進して参ります。