5/8_10 草枕

床 悠然見南山

花 母子草 肥後草 風露草 矢車草 勿忘草

花入 風の庭籠

香盒 空豆型 壺々蒔絵

 

 

今回の花はどれも道端に生えているような野の花ばかりです。

母の日が近いので、母子草を主役に入れてみました。

七草粥ではごぎょうと呼ばれていますね。

 

普段は雑草と言われてしまう草花であっても

きちんと目を向け

敬意をもって接すると

はっとするほど美しい表情を見せてくれます。

 

「名もない花には名前をつけましょう~」

などという歌が数年前にはありましたが

名もない花などありません。

雑草という名の草もありません。

 

興味を持つこと。

調べてみると風流な名前がついていたり

住んでいる地域に特有の種であったり

実は漢方で珍重されている等

様々な事実を知ることが出来ます。

 

草花に限ったことではありませんが

相手を知ろうとする姿勢が

より一層の思いやり、大切に扱おうという気持ちを生むのではないでしょうか。

 

 

少し偉ぶった話をしてしまいましたので

ここで気分を変えて、

床の禅語にまつわる、

夏目漱石の草枕の一節を引用しようと思います。

 

 

 苦しんだり、怒ったり、騒いだり、

 泣いたりは人の世につきものだ。
 ~余が欲する詩はそんな世間的な人情を鼓舞するものではない。

 俗念を放棄して、

 しばらくでも塵界を離れた心持になれる詩である。

 ~西洋の詩歌はどこまでも愛だとか、正義だとか、自由だとか、

 ~いくら詩的になっても地面の上を駈けあるいて、

 銭の勘定を忘れるひまがない。

 うれしい事に東洋の詩歌はそこを解脱したのがある。 

 采菊東籬下、悠然見南山。

 只それぎりのうちに暑苦しい世の中を

 丸で忘れた光景が出てくる。  

 垣の向こうに隣の娘が覗いてる訳でもなければ、

 南山に親友が奉職している次第でもない。

 超然と出世間的に利害損得の汗を流し去った心持になれる。~

 

 

 

足の元に咲いている小さな花に微笑んだ後は

只々何も考えずに遠くの山を見やるのもいいですね。