床 桃李不言下自成蹊
花 土佐水木 貝母
花入 舟徳利
香盒 瑠璃釉
茶通箱と釣釜のお稽古です。
それぞれ独特な所作が多いので澱みなく点前をするのは難しいですね。
書は、桃李不言下自成蹊。
成蹊大学の名称の元となった有名な句です。
「桃や李(すもも)は何も言わず、
自己宣伝などしないけれども、
その花の美しさ、果実のおいしさに惹かれて
人々がその下に集まるので、
いつかおのずから小道ができる」
忠誠実直で人格が立派で徳があれば、あえて宣伝したり飾ったりしなくとも、
世の人々はおのずからその人徳を慕い、期せずしてそのもと集まってくるものだ
という意味です。
毎年3月中旬から4月にかけて日本列島は桜の季節です。
関東にも桜の名所が沢山ありますが、これは桜を広め、花見を奨励した八代将軍吉宗の功績によるところが大きいでしょう。
江戸時代以前までは上流階級の楽しみであった花見を、庶民の娯楽として広めたのが吉宗です。
放火の絶えない江戸の世で、人々を楽しませる手段として桜を選んだということですが、
目的はそれだけではありません。
吉宗が桜の植樹、花見の奨励に特に力を注いだ隅田川沿いの桜や、飛鳥山は、
崩れやすい地盤を花見客に踏み固めさせるという狙いがあったそうです。
それにより、土地の整備に活用したとのこと。
吉宗は
「川沿いを固めよ!」
などと命令を出すのではなく、
言葉を発しない桜を植えた。
その結果美しい桜の下に自然と人が集まり、強固な土地が出来ていった。
正に桃李不言下自成蹊の力を利用した訳です。
庶民にとってもただ楽しめば良いのですから、
お見事と言うより他にありません。
桜前線なる言葉を作るほど毎年桜の開花を心待ちにし、
花の下で飲食したい衝動に駆られるのは
元禄時代からのDNAなのですね。
今も変わらず花見を楽しむ日本人の姿を
吉宗も嬉しく思っていることでしょう。
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