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床 吹毛常磨

花 瓔珞アナナス 常盤露草 七竈

花入 鵜籠

香盒 筏 青楓蒔絵

紙釡敷 「水」

 

 

お稽古では織田有楽について取り上げました。

戦国史としての織田有楽はあまり良いイメージで描かれないことが多いように思いますが、

茶道史では言わずと知れた重要人物。調べるほどに興味が湧く奥深さがあります。

ですから人物像に迫るときりがないので、今回は如庵にフォーカスしてみようと思います。

 

 

国宝の茶室は3つしかありません。

「妙喜庵待庵」、京都市の「龍光院密庵席(小堀遠州)」、そして織田有楽の「如庵」です。

 

 

徳川家光から

 

「徳川の繁栄はこの如庵から始まったと聞いている」

 

と言わしめたという逸話のある如庵。

 

織田有楽と徳川家康は幼馴染であったと言われていますが

この庵を通じて家康と有楽の間に深い繋がりがあったことが窺えます。

 

 

如庵の魅力については、

まず如庵四景という言葉があります。

 

如庵の中で特に美しいものを称えた言葉で、

左女ケ井、釜山海の手水鉢、有楽竹、如庵の室のことをいいます。

 

村田珠光が堀った京都醒ヶ井五条にある「佐女牛井」にちなんで名付けられた左女ケ井からは、

名水を探るべく数多くの井戸を掘っていたという、水に対する並々ならぬ拘りを。

 

加藤清正の朝鮮土産である手水鉢と

有楽が信長から特命を受けた天正七年の文字が見られる前石からは、

石屋から石を買い占める程、石にも関心の高かったという美意識の片鱗を垣間見ることが出来ます。 

 

又、有楽は竹を特に好み、茶室の用材として巧みに活用しておりましたが、

本人の名前のつく程庭に多用しているのは、

笹の触れる「カサカサ」という音、

そして風の吹いた時に竹同士がぶつかって鳴る「コンコン」という音

これを愛でたとされています。

竹を、茶室のBGMとして捉えていたのですね。

 

そして如庵そのものですが、

一番の特徴は、やはり「有楽窓」でしょう。

竹を敷き詰めて作られた窓ですが

竹の節の隙間から光が入り、縞模様を作るであろうことは想像がつきますが、

どうやらこの窓の効果はそれほど単純なものではないようです。

 

この有楽窓、建築の世界では「虹窓」として知られているそうですが

 

有楽窓(うらくまど)は外部環境、たとえば青空、竹林、地表を投影

する光が竹の合間を通り過ぎるときに横方向に分解される現象を取り入れたもので、その細い隙間

から入る稿は分光された、影というよりまさに虹のように発色する現象を取り入れたものです。

…中略

西洋で「光の分散」を発見したのはイギリス人のニュートンで

一六六六年のことです。彼は太陽光線がガラスのプリズムを通ると屈折率の差によって赤から紫に至る

たくさんの成分に分けられることを発見しましたが、有楽の場合は竹を引き詰めて間から漏れる光の屈折で虹をつくりました。

 

如庵と織田有楽より

 

 

何と。

 

竹によって光がどの程度分解されるか私は見たことがありませんが、

茶室の中に微かでも色の異なる光が差し込んでいたとしたら。

 

それはどれほど神々しく、心の洗われるものだったでしょう。

 

利休は黒を追及することにより

壁も光を吸い込み、宇宙のような庵を作り出したのに対し、

 

有楽は壁にも紙を貼り、光を利用する、清々しい庵を作り出したのです。

 

 

先に引用したページを書かれた方は

利休の茶は「仏道」の茶、有楽の茶は「神」の茶であると思う、と言われています。

 

キリスト教の洗礼を受けており、庵にもその名を用いた織田有楽斉ジョアン。

 

その宗教思想、哲学から茶人としての美意識の全てを集結させた、

 

如庵は正に最高傑作に違いありません。