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17日(水)

 

母が喜びを隠せないでいるのが分かりました。

恐らく、3cm程地面から浮いていたのではないか、

というくらい、ウキウキしていました。

 

それは

乙亥会発足からずっと共に茶道を嗜んできて、

18年の7月から療養の為お休みしていた、

宇井さんが明日のお稽古に見えると聞いたからです。

 

毎週ラブコールを送り続けてきた母にとって

この上なく嬉しい瞬間であったに違いありません。

 

もちろん私にとってもそれはビッグニュースでした。

明日はきっと忙しくなるからと、床の花を用意したりしました。

 

 

18日(木)

 

宇井さんが朝一番に見えました。

1時間かけて歩いて来て下さいました。

 

早速お茶を召し上がって頂きました。

非常に懐かしく、お茶を点てられることが嬉しくて、

茶筅を振る手にも熱がこもりました。

 

その後、母は宇井さんにお供茶の点前を指示しました。

ブランクがあると普通のお点前でも大変なのに、さらに複雑なお供茶を要求するとは…

母の無茶振りに「ひどい…」と笑いながらもお点前を始められたのです。

 

 

驚きました。

 

お点前の、あまりに自然な姿に。

何も覚えていないと言われていましたが、身体には浸み込んでいたのですね。

お客様として座られている姿は懐かしかったのに

お点前を見ていると、先週までもお稽古に来られいたのではないかと錯覚しそうな程で

「久しぶりだから…」などというこちらのフォローの言葉はもはや不要でした。

 

その後は皆さんで、宇井さんから折り紙の独楽を教えて頂いたり、

茶飯釜でお昼を食べたりと、それは和気あいあいとした、楽しい時間を過ごしました。

 

 

19日(金)

 

その夜、娘と寝ようとした時のことです。

 

娘がしきりに天井を指さすのです。

 

私は、「電気ね」「ドアかな」と娘が私に教えてくれるものを推測するのですが

娘は納得のいかない様子で、部屋の上の方を見つめていました。

 

 

 

 

20日(土)

 

朝、娘と居間へ降りると、丁度母が電話を受けているところでした。

動揺を隠せないでいるのが分かりました。

 

 

22年から3年間、お稽古に来られていた小林宗離さんが亡くなられました。

 

急性白血病でした。

 

入院されているのは存じ上げていて、良ければ1か月くらいで退院できると伺っていました。

ですから5月には、また元気なお顔を見せに来て下さると信じて疑いませんでした。

 

 

小林さんは旦那様が連句の会を主催されており、ご自身も嗜まれていました。

 

 

連句と茶道の関係について。 

 

茶道を大成したのは千利休ですが、その師は武野紹鴎。紹鴎の師が村田珠光です。

利休は珠光から禅の精神を、紹鴎から歌道・文学を学んだとされています。

武野紹鴎は自身が連歌師であり、掛物に和歌を用いるのも紹鴎が始まりです。

日本において歌道は禅よりも古くから存在しており、中世以降の芸術全ては歌道の影響を受けています。

 

つまり

インド、中国を経て日本に伝わった禅宗の深い精神性に、

日本古来の歌道の豊かな表現力が合わさったものが茶道だと考えることが出来ます。

 

さらに言えば

初めて茶道を体験された方がよく口にする

「心が落ち着く」という感想は珠光の側面

「日本の美しさ・良さを再発見」というものは紹鴎の側面と言えるかもしれません。

 

禅と歌道は茶道の両輪、いかに重要なものであるかが分かります。

 

小林さんは正に、その歌の道を私達に開いて下さいました。

いつもその豊富な語彙力から、美しい日本語を教えて下さいましたし、

小林さんがお仲間にならなければ、乙亥会で連句を巻くといった経験はできなかったでしょう。

 

また、お茶のお稽古においても非常に努力家でいらっしゃいましたし、

律儀な方でもありました。

ですから金曜の夜にわざわざ挨拶に来て下さったのですね。

 

お稽古に来て頂きながら、いつも教わることばかりでした。

これからも色々なことをご教授頂きたかっただけに本当に残念で、寂しい気持ちで一杯です。

 

 

土曜は鉄線のお花で、正客に座って頂きました。

 

これからも小林さんのお姿を糧に、茶道に精進していきます。

本当に有り難うございました。