3/14_16 Viva La Vida

床 百花為誰開

花 寒緋桜 加茂本阿弥

花入 青華園

香盒 滑車

銘 花喰鳥

寄付「ああいいな せいせいするな」 宮沢賢治『雲の信号』より

 

 

 

 

茶席で使われる禅語には花を題材にしたものがいくつもあります。

その中でも有名なものの一つに

 

「百花(春至)為誰開」(ひゃっかたがためにかひらく)

 

があります。

 

 

 

私は何の為に生きているのか?

生きる意味とは何か?

 

 

そのような問いは、こう置き換えることができます。

 

 

花は何の為に咲くのか。

誰の為に咲くのか。

 

 

暖かくなると沢山の花が開き、春の訪れを告げます。

そして私達の目を楽しませてくれます。

 

しかし言うまでもなく、花は私達を喜ばせる為に咲いているのではありません。

誰かの為に咲くのではありません。

 

大自然の、宇宙の法則に従って、条件が整ったときに咲くのみです。

自分に与えられた生命を、精いっぱい、無心に発揮する。

だから美しいのです。

 

良寛和尚の詩に
『花は無心にして蝶を招き、蝶は無心にして花を尋ぬ』

というのもあります。

言葉はシンプルですが、人間にとって無心でいることはなかなか難しいものです。

 

人から認められたい、褒められたい、子供は優秀に育ってほしい、自分は年を取りたくない…

 

いつも自我意識に振り回され、一喜一憂しがちです。

 

宇宙の法則が自分にも働いていることを自覚し、その力に逆らおうとしない。

自分の行動を制限するこだわりなどはさっぱり捨ててしまいなさい。

生きる意味など考えず、与えられた命をただ精いっぱい生きなさい。

 

美しい花の一輪一輪が教えてくれます。

 

 

記事右上の寒緋桜は朝日を受け、まるで自ら発光しているようです。

 

今週は暖かい日差しを浴びて庭の花達も光り輝いていましたので

懸命に生命を謳歌するその姿をカメラに収めました。

何枚かギャラリーに載せていますのでご覧下さい。