床 清福
花 西王母
花入 李朝瓶子
社中に徒然棚をお持ちの方がいらっしゃいました。
徒然棚は裏千家の棚ですが、雛祭りの時節柄せっかくなので、研究をし、2週続けてお稽古をしました。
2月号の茶道雑誌には、美しい自然の写真が載せられていました。
青磁や織部といった、茶道具が憧れた自然の色。
そして茶室や日本建築の自然との関わりについて書かれていました。
『自然』という言葉について。
通常、これは「しぜん」と発音しますが、「じねん」という読み方があります。
これら2つの意味の違いですが、
日本には古来から「じねん」という読み方があり、
明治以降に「nature」という概念が入ってきた際に、その訳として「しぜん」という読みが使われるようになったのです。
「じねん」とは「自ずから然り(おのずからしかり)」ということ。
現在も「自然の成り行き」などという言葉を使ったりしますね。
西洋の、つまりキリスト教的世界観における「しぜん」は、野生であり、人間が制御する対象。
それに対し、「じねん」は私達の生きる世界の全てですから、人間そのものも、人工物すらも含まれます。
そしてそれら全てにおいて、人間が制する立場にありません。
この考えは、八百万(やおよろず)の神や、森羅万象全てが信仰の対象であるアニミズムそのものです。
四季という形で自然の力を強く感じられる日本。
私たちは古来から自然を制御するのではなく、敬い、畏れ、寄り添う形で生活してきました。
造形・建築でも、色でも自然から知恵を借り、自然に近づこうと試みてきた結果です。
そして何時、何処でも、自然科学では説明のつかない霊力のようなものを感じていました。
ものを粗末にすると、川を汚すと、妖怪が来る。バチが当たる。
現代はそういった得体の知れない存在の代わりに、西洋から「エコ」という言葉を取り入れたように思います。
それは「じねん」から「しぜん」への転換とも言えます。
「SAVE THE EARTH」
「自然を守ろう」
聞こえはいいですが、これはいかにもキリスト教的発想によるものです。
「じねん」の立場から見れば
地球や自然を人間が守るという考え自体が実に傲慢、不遜ではないでしょうか。
もちろん、こうした合言葉に基づく具体的な活動を何ら否定するものではありませんが、
ありのままの自然に対する畏敬畏怖の念は常に持ち続けたいものです。
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