2/7_9 whipped cream or crescent moon

床 梅が香にたぐへて聞けばうぐいすの声なつかしき春の山里 西行

   坂部青峰筆

花 好文木

花入 手桶型

水壷 志野 宏一作

茶入 膳所焼 菊唐草間道

棗 つぼつぼ 静峰作

茶盌 馬上杯 梶田厚作他

寄付 初午

 

2月9日は初午。

2月11日は建国記念日(紀元節)。

2月12日は菜の花忌。

ということでそれぞれについて勉強しました。

また、十牛図も扱いました。

 

 

 

茶を点てる時、泡をたくさん作るのが良いのかあまりない方が良いのか。

一般的に、表千家はあまり泡立てず、裏千家はたっぷりと泡を立てると言われています。

何を良しとするのかは、流派によって異なります。

 

乙亥会はこうした流派に捉われる必要がないので、

点て方による味の違いを研究してみようということになりました。

 

そこで、お稽古では薄茶の分量を、濃茶の手法で点てる、

つまり全く泡を作らない方法を試しました。

すると、実にお茶らしい味がするとの感想が聞かれました。

 

これは科学的に説明をすることができます。

(ただ、難しい用語や詳しい解説はここではできるだけ省きます。)

 

お茶の粉には、甘味成分と苦み成分が含まれています。

大雑把に言えば、

甘味成分は溶けやすく、苦み成分の方が溶けにくいという特徴があります。

 

濃茶では、まず少量の湯で茶を溶きます。

この時、湯の量を少なくした方が苦みが溶けにくい(粉の内に留まる)。

つまり、苦みが出てくるスペースがないということです。

 

ということは、湯の量を多くすれば、当然苦み成分は多く溶け出してきます。

その苦みに対抗するのが、泡の存在です。

 

茶筅を強く振ることにより、苦み成分は茶の表面に逃げていきます。

泡が増えるということは、茶の表面積が増えるということなので

泡が多いほど、苦み成分は茶の中から減っていき、泡の中に閉じ込められます。

 

クリーミーなお茶は甘いと言われるのはその為です。

 

(ちなみに、それは、ちょうど煮物を作る際の灰汁に似ています。

煮物の場合は沸騰させることにより、苦み(えぐみ)が灰汁の中に閉じ込められ

それを取り除くことにより美味しさが残るというわけです。)

 

お稽古中の実験(?)の話に戻すと、

湯の量は薄茶でも泡を立てなかったということは、

苦み成分が湯の中に溶けていたということ。

苦みには口をすっきりとさせる要素もあるので

よりお茶らしいと感じたのはその為でしょう。

 

お茶事では懐石、濃茶の後に薄茶を頂きます。

後味をすっきりさせるにはある程度苦みが必要となるので

あまり泡を立てすぎない方が良いとする表千家の考えは非常に理にかなっています。

 

一方で、現代で薄茶を飲む場面と言えば、

お茶事よりもお稽古か、大寄せの茶会が多いと言えます。

本来は薄茶の前には干菓子を頂くのですが

茶会では薄茶でも主菓子(生菓子)を頂くこともよくあります。

そうなると、薄茶の役割は、口をさっぱりさせるというよりも、

茶そのものにふくよかな味わい(甘味)を持たせ、生菓子の存在感に負けないということが求められてくるかもしれません。

そう考えると裏千家のように泡をたっぷり作るのは当然とも言えます。

 

 

美味しいお茶を点てることは茶道における至上命題です。

大切なことは、その時の相手に「美味しい」と感じて頂けること。

 

泡の多少は美味しいお茶を求めた結果であって目的ではありません。

また、言うまでもなく、お茶の味を決めるのはお湯の質、温度、茶の量、茶盌の性質等、

多くの要素によるものです。

 

そういった要素を上手く活用し、

その時その場で一番美味しい茶を点てられるようになれたら最高ですね。

幸い私たちは、クリーミーな泡から、三日月どころか新月状態まで

自由に理想を追い求めることが許されている環境にいるのですから。

 

 

参考:『茶の湯科学入門』堀内國彦著 淡交社 他